寺建立の歴史

金浦伝香

台湾における多くの媽祖廟は、唐山和尚が媚洲媽祖の金色の聖像を台湾に持ち込んだことに由来する。信者たちは、財産を出し合って廟を造り聖霊を祭った。そして、廟は大きくなりその地で媽祖信仰の中心地となった。本宮の建立もこの如しである。  

伝えるところによると、清朝咸豊年間に、ある中国唐山を行脚した僧侶が媚洲天上聖母の金色聖像を持って台湾に渡来し、台北廳擺接城枋橋庄を通りかかった時、その地の地主.

有力者.信者など七十二名から媽祖の聖なる駕籠をここに留めて欲しいと懇願され、土地を守ることを祈願するために「天上聖母金浦会」を組織し、一軒の小さい廟を作り「慈恵宮」と名付け額を掲げ、天上聖母の聖なる駕龍を奉納した。これが本宮の始まりである。  

この金浦会七十二名の先賢たちは、本宮の主神天上聖母信仰の功徳を伝え、飲水思源(「幸せな時は、その幸せがどこにあるのが忘れてはならない」という意の熟語)のために、本宮は功徳堂を設け金浦会七十二名の先賢を祭り、記念の傳香功徳を行っている。  

美しい廟の屋根。

中元節(旧曆7月15日)の人形(大士爺)。

 

お香の煙の絶えることがない。